祭り見物 / 静岡県 / 大江八幡の御船神事 |
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今年(2019年)9月15日日曜日、牧之原市の大江八幡宮で行われる国の無形民俗文化財『御船神事』を見に行った。 早朝、5時半ごろ車で出発、途中、道の駅でトイレ休憩をして、7時過ぎに神社に到着。 神社のすぐ横に10台ほど駐車できるスペースがあり、まだ5台ほどしか留まっていなかったのでスペースは確保できた。 「静岡・浜松・伊豆情報局」のHPによると 「田沼意次の時代(享保年間)に廻船問屋が航海の安全と商売繁盛を祈願して創始したと伝えられる、海上安全を祈願する古式豊かな漁師町の祭礼です。 精巧にできた菱垣回船と樽回船の模型(御船)をあやつり、そろいの浴衣姿の「船若衆」が4人1組で御船を担ぎ、船首を持ち上げたり、船尾を持ち上げたりと波間にいきかう千石船の様を表現しながら氏子地域を練り歩きます。 神事に使う御船は、菱垣廻船と樽廻船を精巧に模したもので、実物の10分の1、全長は2m、重さ50kgもあります。御船神事は木遣歌(きやりうた)を歌って先導する歌の名手「師匠」と御船を担ぐ「船若」で構成されています。 木遣歌にあわせて御船を上下に激しく振るのは、廻船が大海原の荒波を乗り越えていく様子を表現しているのだとか。 奈良時代頃から榛南地区の海上交通の中心として萩間川河口に開けたのが相良湊。大坂と江戸を結ぶ廻船の拠点としても賑わいました。」 この神社には、御船の模型が作られたいきさつの記録が残っていて、祭りに詳しい人の話では、それが、この地区4ヶ所で行われる「御船神事」のうちこの神社のみ無形民俗文化財に指定された所以とか。 |
まずは参拝。 |
本殿は、覆屋の中にあり、1718年に再建されたものだそうだ。 |
拝殿の蟇股には蛇腹に三つ巴紋 |
拝殿横に、菱垣廻船と樽廻船、そして中学生にこの祭りを継承していくために中学生船が並べられ、拝殿内での神事は8時ごろから始まり、「柱起こしの儀と帆上げの儀」は9時ごろから30分ほど行われる。 |
ダイドードリンコの「日本の祭り」のHPによると、 「船若たちが歌う歌に合わせて帆柱が起こされ、続いて帆が上げられます。柱起こしと帆上げの歌は源平の壇ノ浦の戦いにちなんだ歌詞で、お師匠さんといわれる船若のOBが最初に歌い、続けて船若から選ばれた4人の青年が歌います。この歌に合わせて帆柱がゆっくり起こされます。帆柱が立つと、同様に帆がゆっくり上げられ、その日の風向きに合わせて向きが調整されます。そういうところは本物の帆船と一緒です。漁業関係者の方がご覧になったとき、帆の張り方が間違っていると気にされるので、正確を期すためにお渡り当日の朝にはまず風向きを調べます。帆の向きが定まったら、縄で縛って固定します。このときの縛り方にも伝統のやり方があります。」 そして、9時半ごろ、御船が先導して、神輿行列の一行が、海近くの御旅所(防災センター)に向けて出発する。 |
私は、とりあえずここまで見て、車に戻って一仕事して、車の外の木陰にキャンプ用ベッドをひろげて一休み。途中お昼には例によってカップ麺とコーヒーで昼食として、13時半ごろまで休憩。 13時半、御旅所の防災センターへ向けて歩いていく。 30分程歩いて、御旅所に到着。 |
御旅所では神事はなくて、14時40分ごろ、「師匠」の歌が始まり、「柱起こしの儀と帆上げの儀」が20分ほど行われる。 そして、一行は神社への帰途につく。 |
一行は、16時ごろ途中公民館で休憩でするので、私はまたそこまでで先に神社戻って休むことにした。 17時半頃、一行は神社前に戻ってきて、宮入りが始まる。 |
18時ごろ、御船が神社の石段を駆け上がって、そのあとに神輿行列の一行も上がってきて祭りは終了した。 ただ、お神輿は石段下の参道までで拝殿までは上ってこなかった。 帰りも道はすいていて、20時前には帰宅できた。 |